奈良県北東部に位置する宇陀。
西は大和の国の中心部、東は伊賀・伊勢へ。
東西を結ぶまちであるこの地に通るのが、伊勢街道です。
2つの伊勢街道
京都から奈良市を経由して橿原市、あるいは大阪から橿原市に至った伊勢街道は、長谷寺(桜井市)を経て宇陀市へと至ります。これは現在の国道24号線と165号線のルートに相当します。
長谷寺から宇陀へは上り道続き。多くの旅人が、「今日はここで休もう」と考えたのでしょう。宇陀市榛原萩原には「萩原宿」が設けられ、宿場町としてにぎわいました。
ここで伊勢街道は2つのルートに分岐します。
1つは「伊勢本街道」。宇陀市榛原高井や宇陀市室生田口から宇陀郡曽爾村・御杖村を通り、宮川へと至る道です。途中は険しい峠道もありますが、伊勢へ続く最短ルートです。
もう1つは、宇陀市榛原福地から宇陀市室生三本松などを経て、三重県名張市から伊勢へ至る「伊勢あお越え街道」。距離こそ伊勢本街道より長いものの、平坦な道が多いことから、庶民の間にも伊勢参りが広がった江戸期以降には活発に利用されるようになりました。
2つの街道の分岐点には、明治時代まで営業していた旧旅籠「あぶらや」がたたずみます。また、当時の様子をしのばせる道しるべや常夜灯も。周辺には古くからの町家も点在し、宿場町の面影を感じることができます。
現在の道路では、伊勢本街道は国道369号、伊勢あお越え街道は国道165号が相当します。いずれもが伊勢と大和とを結ぶ重要ルートであり、2つの国道が交わる宇陀は、時を経ても交通の要衝であることをうかがわせます。
伊勢街道を歩いた人々
あぶらやには、江戸時代の国学者・本居宣長が宿泊しました。
明和9(1772)年3月、本居宣長は大和を旅します。松阪から大和に至り、長谷寺や多武峰、吉野、三輪を参拝して回った本居宣長は、往路も復路も宿を萩原宿でとったと記録されています。
さらに時代をさかのぼると、壬申の乱の際には大海人皇子もこの地を駆け抜けました。
吉野で兵をあげた大海人皇子は、大宇陀を経て榛原に到着。ここで馬を整えたうえで、名張へ進んだとされています。現在の道路でいえば、国道370号と165号に相当するルートです。
なみに大海人皇子のこの進軍は、若干の記述の違いはありますが、手塚治虫の代表作『火の鳥-太陽編-』のなかでも描かれています。
後に天武天皇となり、律令国家の礎を築いた大海人皇子は、日本最古の歴史書『古事記』の編纂を発意した人物でもあります。その『古事記』の研究に生涯を捧げたのが本居宣長。
2人の足取りが時代を超えて宇陀で重なり合っていると想像するのも、おもしろいかもしれません。
旧旅籠あぶらや
分岐点に立つ道しるべ
街道沿いに立つ常夜灯
現在の街道の様子